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Special Interview スペシャルインタビュー サステナブルな人 アルピニスト 野口健さん

写真:福田栄美子

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サステナブルな人 スペシャルインタビュー

野口健さん【前編】環境活動から広がる、テント村での災害支援
~環境活動も日常生活もバランス感覚が大切~

2017.03.27

15歳のときに登山を始め、25歳で7大陸最高峰登頂の世界最年少記録(当時)を樹立したアルピニスト・野口健さんのインタビュー。今回は登山でのベースキャンプの経験を活かした「災害時の避難所支援」や多くの子どもたちが参加する「環境学校」についてお話を伺いました。

野口健 さん

アルピニスト

1973年、アメリカ・ボストン生まれ。25歳でエベレスト登頂に成功し、当時世界最年少で、7大陸最高峰登頂を達成。エベレスト・富士山での清掃活動、「野口健 環境学校」の開校、ネパールや熊本地震被災者支援など、登山を通じた社会貢献活動を行う。

熊本地震テント村の活動で気付いた避難所のあり方

―― 今、野口さんが特に熱心に取り組んでいる活動はなんでしょうか。

私は様々な活動に携わっていて、常に同時進行。すべて真剣に取り組んでいるので、ひとつを取り上げるのは難しいのですが、被災地にテントを届ける支援プロジェクト「熊本地震テントプロジェクト」の経験を活かし、自治体などに向けた災害時の避難所のあり方について提言する活動に力を入れています。

―― 避難所にテント村をつくったきっかけは何ですか?

2016年4月に熊本地震が発生したとき、避難所ではプライバシーの確保が難しいことや、小さな子どもが周りに迷惑をかけてしまうことを気にしたりなどの様々な理由で、避難所に入れず車中泊を余儀なくされていた被災者の方達が多くいたのです。

そんな状況を知り、自分には何ができるのかと考えたとき、ヒマラヤ登山でのベースキャンプの経験が活かせると思いました。長期間、テントで快適に過ごすにはどうすればよいか、ということです。

小さなテントだと圧迫感があるのでテントは立って歩けるくらいの高さにする、テント内部は暖かみのある色使いの方がストレスを軽減するといった、より快適に過ごす工夫や、テントが風で飛ばないように安全に固定する方法などのノウハウが役に立ちました。

エベレストベースキャンプ、野口さんこだわりのテント

熊本地震支援テント村全景

熊本県益城町の学校のグラウンドを借りてテント村を開設し、約600人の被災者の方々を受け入れました。日本国内でのテント村は前例がなく、国土交通省などから多くの視察も受けました。色々な情報を入手し、多くの専門家達の話を聞いていくと、国際赤十字などが2000年に策定した、被災者が受ける人道支援の最低基準となる「スフィア基準」というものがあることを知りました。

避難所での一人当たりの水の量や衛生基準、トイレは何個など、尊厳ある生活を送り、保護を受け、安全が確保されるための基準です。それらの基準をもとに比較すると、先進国の中では日本の避難所は遅れていると有名なんだそうです。私も実際にテント村で生活してみると、見えてくる世界がありました。

テント村では、テントだけでなくタープ(日差しを遮る布)も用意しました。寝る場所の他にもうひとつ居住空間を作ったんです。テントは寝室ですが、タープがあるとそこで料理をしたり、食事をしたり、洗濯物を干したりできます。タープが作り出す空間があることで生活のリズムができ、笑い声が多かったですね。

また、テント村ではトイレも大きな課題でした。汚いトイレは使いたくないと、我慢してしまう人が多いため、洋式トイレに変えて数を増やしました。数は男性と女性の1対3の比率で設置しました。これも「スフィア基準」を参考にしています。

さらに、女性専用では、最新式のポータブルトイレ「ラップポン」を5台設けました。使用するたびに排泄物がビニール袋にパッケージされるため臭いが気にならず、そのまま捨てられます。このトイレを導入すると、被災者の方々の表情が明るくなったように見えました。テント村の運営における試行錯誤の中では、トイレが一番効果がありましたね。

長期間の避難生活では、小さなストレスがボディブローのようにじわじわときいてくるので、小さなストレスをためない住空間の工夫が必要だということを、実際のテント村運営で実感しました。

災害支援は一時的なものではないため、この経験を今後の地震対策に役立てたいと思いました。前もって対策を立て、必要なものを用意しておけば、今後地震が起きたときの選択肢が増えます。そのためには、事前に避難生活を想定して、どこにテント村を設置し、どこに水のタンクを置くのかなど多岐に渡って準備しておくことが必要です。今は、自治体などに向けて災害時の避難所のあり方について提言する活動を始めています。

環境学校をきっかけに自ら考えはじめる子どもたち

―― 多くの子どもたちが参加する野口さん主宰の環境学校では、どのようなことを伝えているのでしょうか。

私自身が自然と触れ合うようになったきっかけは、そもそも登山からだったので、環境問題を意識して始めたというわけではありません。シンプルに自分の登っている山をキレイにしたいという思いからです。

たとえば、富士山での清掃活動にしても、富士山が汚いと言われるのが悔しくて、何かできることはないかと思ったわけです。啓蒙のために周辺のパトロールもしたほうがいいのではと思うようになったり、ゴミ拾い活動にだって経費はかかりますので、そのために入山料をいただいた方がいいのではないかと思い始めたり。

登山者の考えが全て同じなわけはありませんので、こちらの考えを押し付けるわけにはいきませんが、環境に関する意識を高めることが重要だと感じ、体験を通して子どもたちの環境意識を高める「環境学校」をつくりました。実際に活動していくうちに、必要なことが徐々にわかってきたような気がしています。ゴミを拾うだけでは根本的な解決策にならないんですね。

「環境学校」で小学生と一緒に富士登山

自然の中で子どもたちが体験に伴った知識を持ち、あふれる情熱で伝え、実際に行動し続ける「環境メッセンジャー」を育成することが「環境学校」のミッション

たとえば、小笠原諸島へ向かう「環境学校」では、島の環境保護と、それに対し急病人を搬送するために空港が必要だ、と議論になっている飛行場建設問題について、参加者の子どもたちに行きの船内で意見を聞くと、環境保護への意識が強い参加者が多いため、ほぼ建設反対でした。

しかし、長時間船に揺られ、たくさんの子どもたちが船酔いを経験。そうすると、徐々に意見が変わっていきます。長時間の船旅で、島の不便さを体感し、考えるようになるんですね。

1週間ほどの滞在期間中に、島の住民や色んな方に意見を聞くと、小笠原が世界自然遺産に登録され、絶滅危惧種が多く生息していることを知ると同時に、急病人の搬送に10時間近くかかることや、搬送待ちや搬送中に亡くなられた方が何人もいらっしゃることを知ります。すると、最初は建設反対ばかりだった子どもたちの意見が、だんだんと分かれてくるんです。

「環境学校」はきっかけづくりです。現場に連れて行き、色々な話を直接聞いてもらい、自分で考える。環境問題に正解はないので、みんなで真剣に悩んでいるうちに、賛成派と反対派がどんどん意見を言い合うようになっていきます。

すると、反対とか賛成とかそんなに単純なことではないと、ふと気付いていく。環境保護だけが正義ではないし、人間は生活をしていかなくてはならない。そこにはっきりとした白黒をつけるのではなく、どこかで落としどころをつくっていかないといけない。バランス感覚がないと対立がおきます。人間が生きていくことと、自然と共存することも、そのどちらも環境問題なんだと思います。

最近は、自然と関わる子どもが急激に減っているのも心配ですね。自然になじみがない子どもは、知識から、頭から入ります。「環境学校」では一日の終わりに必ず参加者の子どもにスピーチをさせているのですが、頭でっかちな子どもは環境問題の知識が先行してしまい、さらに緊張もあって自分の考えを言葉にできない子も少なくありません。でも自分の言葉で話せるようになるまで、こちらも粘ります。

最初の頃は、「ゴミを何パーセント削減しよう」と言った説明的な言葉が多い子どもたちも、4、5日目になると変わっていきます。自分でゴミ拾いや現場の自然環境を体感し、自分の言葉で話すようになっていく。用意していた言葉から自分の言葉に変わっていくんです。おもしろいですよね。1週間でこんなに変わるんだな、と毎回思います。

文章:西 樹里(一宝堂) プロフィール写真:福田栄美子 本文中写真:野口健事務所

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