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Daiwa House Group Technology プレハブ住宅の原点 ミゼットハウス 〜3時間で建つ11万円の子ども部屋〜Daiwa House Group Technologyプレハブ住宅の原点 ミゼットハウス〜3時間で建つ11万円の子ども部屋〜

「ミゼットハウス」は、戦後のベビーブームで急激に家族数が増え、手狭になってしまった住宅問題を解決するために誕生した商品です。離れの勉強部屋として1959年に発売し、当時の建築の常識では考えられない3時間という速さで建てられることと、11万円程度に抑えた価格設定で爆発的にヒット。この商品こそが、今日のプレハブ住宅の原点であり、プレハブ住宅の礎となりました。

着想は子どもたちとの会話から

移動教室

1947年に始まったベビーブームにより、1959年当時、「学校の教室が足りない」という社会問題が起こっていました。教育委員会から相談を受けた大和ハウス工業の創業者、石橋信夫は「移動教室」を提案します。

人数の膨れ上がった学年が小学校から中学校に進学する時、教室も移設させるというアイデアで、「パイプハウス」で培ったプレハブ建築の技術で実現にこぎつけます。しかし、なお石橋は解決しなければならない社会課題としてベビーブーム世代の子どもたちの環境を気にかけていました。

初夏のある日、アユ釣りをしていた石橋は、たくさんの子どもが川べりで釣りをするでもなく遊んでいるのを見かけました。声をかけると、「家が狭くて居場所がないから外で遊んでいる」と答えます。「そうか!」この瞬間、石橋は問題の本質を捉えたのです。

学校で起こっている問題は、家庭でも起こっている。子どもの居場所がないということは、親も落ち着いて過ごせていない。景気は上向いたものの、家族数に合わせた大きな家に住み替えるまでの余裕はない。こうして、離れとして建てる勉強部屋の商品化を思い付いたのでした。

常識を打ち破る画期的な「商品」

ミゼットハウスの施工風景

石橋が開発担当者に与えた条件は2つ。それは、3時間で建てられること、坪単価を4万円以下に抑えることでした。
当時の住宅は、新築も増築も「木造」の「請負」で建てるのが当たり前で、「鉄骨プレハブ建築」で「商品」をつくろうとするのは常識外れ。その上で、工期の短さもさることながら、鉄骨造で中級木造住宅並みの坪単価を実現するのは厳しいハードルでした。

ミゼットハウスの部材

試行錯誤を重ね、ついに「ミゼットハウス」が誕生します。当時、建築材料として流通し始めた軽量形鋼と、オイルテンパー(油を浸透させて加熱処理)したハードボードを使ったパネル工法とすることで、条件を見事にクリアしたのです。

同時に、大量に供給できる「商品」であることも要求されました。そこで、3坪(6畳)以下に抑えることで建築確認を不要にして、工場で作ったらすぐトラックに積んで工事現場へ届けられるように設計しました。

販売価格は、家電製品の慣習にならって、4畳半タイプ:10万8,000円、6畳タイプ:11万8,000円と端数を切る「商品らしい」値付けに。ちなみに当時の国家公務員の大卒初任給は1万200円でした。

また、この商品は小さいながらも「子どもの家」であるため、外観デザインに配慮して屋根勾配や軒の出を工夫。当時憧れの欧米の暮らしを連想させる両開き窓には、豊かな暮らしを実現してほしいと願うメッセージが込められていました。

タイプ 4畳半タイプ 6畳タイプ
当時の価格 10万8,000円
2.72m×2.72m
11万8,000円
2.73m×3.63m
基 礎 コンクリート敷
床 組 土台:ヒノキ、大引:杉
壁 体 柱、壁パネル
屋 根 屋根パネル、棟包鉄板
建 具 窓、出入口
塗 装 鉄部:OP仕上、木部:ニス仕上等

3時間で完成するミゼットハウスの工法

  1. 工場で外壁と内壁を一体化したパネルを製造する
  2. 道が狭くても入れる小型トラックで現場へ部材を運ぶ
  3. 土台としてコンクリートブロック約40個を設置
  4. 風などの揺れに強い軽量鉄骨の柱を立て、柱の間を壁パネルでつなぐ
  1. 屋根を載せて、天井・床もパネルを使用して仕上げる
  2. 窓枠・扉(玄関口・裏口)を取り付ける
  3. 床を敷く
  4. 完成

需要を喚起し爆発的ヒットへ

百貨店での展示販売

石橋の洞察と開発担当者の創意工夫で完成した「ミゼットハウス」は、1959年10月、全国27カ所の百貨店で発売するとすぐに話題となり、アイデア商品としてマスコミもこぞって取り上げました。一方、当時の常識では、住宅とは考えにくいこの商品が売れるはずはない、というのが建築業界の大半の見方でしたが、多くの家庭に受け入れられ、石橋の予想を超える大ヒット商品となりました。

スーパーミゼットハウス

「ミゼットハウス」は、住宅問題を解消する子ども部屋にとどまりませんでした。トイレを付けてほしい、台所がほしいという要望を受け、新婚世帯向けの「スーパーミゼットハウス」の開発につながり、その後、本格的なプレハブ住宅に発展していくのです。

この成功は、住宅一邸ごとに注文を受けて施工するいわゆる請負方式以外に、「商品」として建築を提供するスタイルが消費者に受け入れられることを証明しました。それを知った異業種の企業がプレハブ建築に続々と参入。また、プレハブ建築のために乾式工法等の建築部材を提供するメーカーも次々に生まれ、今日のプレハブ住宅産業を創出することとなりました。

未来を変えた住宅革命

ミゼットハウス

2011年9月、「ミゼットハウス」は「パイプハウス」とともに、「黎明期のプレハブ住宅」として「重要科学技術史資料(愛称:未来技術遺産)」に登録されました(登録番号:第00081号)。これは、独立行政法人国立科学博物館が日本の科学技術の発展を示す貴重な資料を選ぶ制度で、世界初の無線電話や日本初の純国産大型ロケットなど、社会に大きな影響を与えた技術文化財が選ばれています。その系譜に「ミゼットハウス」が刻まれたことは大きな誇りとなりました。

日本のプレハブ住宅の原点となった「ミゼットハウス」は、その後も技術開発を重ね、戸建住宅や仮設住宅、店舗などさまざまな商品へと展開していきます。社会の課題を解決しようとする創業者、石橋信夫の想いから生まれた「ミゼットハウス」は、「住宅の工業化」を加速させ、日本の住宅そのものを大きく進歩させました。それはまさに「住宅革命」と呼べるイノベーションだったのです。

「重要科学技術史資料」選定理由

官民挙げてプレハブ建築開発が行われた中で、民間から生まれて経営的に成功した最初の建築である。「ミゼットハウス」はC型鋼の柱に木桟パネルをはめ込んで壁とした構造で、勉強部屋などの離れとして用いられた。3時間で建つ11万8,000円の家として爆発的な売れ行きを示した。日本で花開いたプレハブ建築技術の先駆けとして貴重である。

「パイプハウス」「ミゼットハウス」が重要科学技術史資料に登録されました

「パイプハウス」「ミゼットハウス」は大和ハウス工業 総合技術研究所(奈良市)に実物展示されています。

総合技術研究所について詳しく見る

「ミゼットハウス」を出発点とする大和ハウス工業の住まい。高さで広がりを感じる、過ごしやすさを叶えた家。

xevoΣ(ジーヴォシグマ)について詳しく見る


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