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暮らし

サステナブルな暮らし コラム 「家康、江戸を建てる」の著者、門井慶喜さんに聞く、家康が行ったサステナブルなまちづくり

小説家 門井慶喜さん

2017.02.06

水浸しで低湿地の広大な土地だった江戸へ行政の首都を移し、今日まで続く首都の礎を築いた徳川家康。家康はこの地で、利根川の水路の変更、金貨の造幣、水道の整備、江戸城の石垣造成、天守閣の建築などのいわば公共事業を行ったとされています。それらの事業に関わる人びとのドラマを描いた話題の小説『家康、江戸を建てる』の著者、門井慶喜さんは、小説のなかで家康のことを優秀な都市計画プロデューサーとして描いています。約265年間、徳川15代にわたって安定して続いたサステナブルなまちづくりについて、門井さんに伺い、次世代へと暮らしを繋げるためのヒントを探ります。

家康が整備し、サステナブルな発展を遂げた江戸時代

―― 門井さんはなぜ、江戸時代の初期を小説の題材に選ばれたのですか?

徳川家康は、所領であった駿河、遠江、三河、甲斐、信濃との交換として豊臣秀吉に関東に行くように命令されたと僕は思っています。その際に国替えを受け入れ、当時、関東の首都だった北条家の小田原ではなく江戸を選びました。おそらく、小田原には地侍など既存勢力がいることによる既得権を嫌がったのではないかと思いますが、何もないに等しい江戸に一からまちをつくりあげると決めた時点で、自然との戦いを覚悟したはずです。そこで、江戸時代の初期に関わった人間と自然の戦いを描こうと思い、それにまつわる5つの物語を執筆しました。

―― 第一話で家康が、利根川を曲げて江戸湊(現在の東京湾)から鹿島灘へ河口を変えたと書かれています。果たして、家康は江戸がどのくらい続くと考えていたと思いますか?

江戸時代は265年間もの間、続きましたが、家康はそれ以上に長く続くと思っていたのではないかと思います。きっと、500年以上続くことを見越して都市計画を行なったでしょうから。

江戸の町が水浸しにならないよう利根川を曲げると決め、事業に着手した時点で家康は50代前後。当時では寿命も近い年頃です。そんな事業は、自分の目が黒いうちに終わるなんて思うわけはありません。川を曲げるということは、新しい堤防を造らなくてはいけません。おそらく、相当な長いスパンでまちづくりを考えていたはずです。

当時江戸湊に注いでいた利根川を渡良瀬川へと合流させる工事を行い、鹿島灘へ注ぐ流れに変更した。事業が完成するまで、家康が任命した土木官僚、伊奈家は3代に渡り関わった。

―― 家康以前の江戸は、どんな場所だったとお考えですか?

江戸湊は、貿易港の堺を有する大阪湾と違い、遠浅で船がどこまで接岸できるかもわからないような場所だったと思います。家康が江戸を開拓する17世紀になるまで、ずっと手付かずだったということは、日本人の土木技術が成熟していないと開発できないような大きくて広くて厄介な土地だったわけです。

―― ということは、江戸を開拓する際に土木技術を成熟させていったということでしょうか?

いや、僕のイメージでは、むしろ成熟した技術の出口だったのではないかと。なぜなら、戦国時代のわずか50〜60年の間に日本の土木技術は飛躍的に向上しているんです。大きな理由として、その頃、戦に出かける兵に食べさせるお米が必要でした。お米を作るには田んぼが要ります。そのためには、水路のコントロールが必要です。周囲を洪水にしないように配慮しながら、米作りに必要な水だけを常に確保しなければいけないということが切実でした。だから、各藩において治水の技術はとても発達しました。

特に、甲斐(山梨)の武田信玄は、優れた治水技術を持っていました。盆地である甲斐に注ぐ川は3方とも急流ぞろいですが、それを乗り越えて穀倉地帯を築いています。僕が『家康、江戸を建てる』の第一話に書いた「流れを変える」で登場した家康の土木官僚、伊奈忠次は、三河生まれですが一向一揆が起きたときに父親が家康に刃向かったので、親子共々領外に追放され、甲斐にいました。のちのち家康がふたたび彼を家臣にしたのは、甲斐で学んだ治水技術への期待があったのかもしれません。

インフラ整備により江戸に多くの人が集まった

―― 江戸が265年間長く繁栄した理由は、どこにあるとお考えですか?

こちらは、第三話「飲み水を引く」でとりあげた神田上水の話がいい例かもしれません。井の頭(東京都三鷹市と武蔵野市にまたがる地域)から飲み水を引いてくることは、技術的には利根川を曲げることよりはたいしたことはなかったと思います。ですが、上水道を通すと同時に人のシステムを整理したことが功を奏したのではないかと。井戸の使用料(水銀)を大家さんに払うといった今でいう水道料金システムを構築して、上水の維持管理費として使えるようにしましたね。江戸では、そういった仕組みづくりが上手になされていました。

―― まちがサステナブルに長く続くために、水道は重要な役割を果たしていたということでしょうか?

都市が成立するには、人が集まらないといけません。そうなると、地方の人が都会のことをさして知らなくても、そこに行けばそのままそこに住めるというシステムがあらかじめ土地に備わっている必要があります。まさに水道がそうです。そこに住んでお金さえ払えば、きれいな水が飲めることが重要です。

仮に、水道がなかったとしたらどうなるでしょう?どこの山に水が湧いているかと人に聞き、そこまでわざわざ水を汲みにいかなければいけない。水を飲むだけでこの労力です。そんなことは機能的に片付けてしまったところに人間は集まってきやすいですね。

―― それは、現代に続くシステムですね。そのほかに当時のものは残っていますか?

江戸時代の上水道のことを調べていると、現代の水道とそう変わっていないように思えました。水は、地下に埋めたほうがきれいなわけですから、そういう発想自体は今も変わらないですよね。水道は、地下に埋めて暗渠[あんきょ]にしていますが、当時は蓋のない開渠[かいきょ]の部分もところどころにありました。

また幕府は、265年の間に上水にはゴミを入れるな、汚物を入れるなと何度もおふれを出しています。中には、身投げをするなというおふれも繰り返し出されています。衛生的にも、穢れ[けがれ]の意識的にも問題がありますし、困りますよね。身投げをしたらその村全員の罰則となっていたようです。

暗渠(水道管の地下埋設)システム。松や檜など、硬くて腐りにくい木の板が選ばれている。

―― 家康の先見性と一大インフラ整備プロジェクトによって低湿地であった江戸に多くの人が住めるようになりました。後編では、家康から家光へと受け継がれ、江戸時代が265年も平和に続いたシステムづくりについて伺います。

文/朝比奈千鶴 イラスト/平野秀明

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門井 慶喜(かどい よしのぶ) さん

小説家

1971年、群馬県生まれ。同志社大学文学部卒(日本史専攻)。2003年に『キッドナッパーズ』で第42 回オール讀物推理新人賞を受賞。2015年『東京帝大叡古教授』が第153 回直木賞候補となり、続く16年『家康、江戸を建てる』も第155回直木賞候補となる。
2016年12月新刊『屋根をかける人』を上梓。

著書のご紹介

門井慶喜著書「家康、江戸を建てる」

『家康、江戸を建てる』

江戸を創建するという日本史上最大のプロジェクトやそこに関わる人々を描き、新たな視点から家康像に迫った話題作。2016年直木賞候補作。

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